大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第一小法廷 昭和60年(オ)217号 判決 1989年4月20日

上告人

関幸子

右訴訟代理人弁護士

江本秀春

村岡啓一

被上告人

日産火災海上保険株式会社

右代表者代表取締役

本田精一

右訴訟代理人弁護士

西川哲也

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人江本秀春、同村岡啓一の上告理由について

一自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)三条による被害者の保有者に対する損害賠償債権及び保有者の被害者に対する損害賠償債務が同一人に帰したときには、自賠法一六条一項に基づく被害者の保険会社に対する損害賠償額の支払請求権は消滅するものと解するのが相当である。けだし、自賠法三条の損害賠償債権についても民法五二〇条本文が適用されるから、右債権及び債務が同一人に帰したときには、混同により右債権は消滅することとなるが、一方、自動車損害賠償責任保険は、保有者が被害者に対して損害賠償責任を負担することによって被る損害を填補することを目的とする責任保険であるところ、被害者及び保有者双方の利便のための補助的手段として、自賠法一六条一項に基づき、被害者は保険会社に対して直接損害賠償額の支払を請求し得るものとしているのであって、その趣旨にかんがみると、この直接請求権の成立には、自賠法三条による被害者の保有者に対する損害賠償債権が成立していることが要件となっており、また、右損害賠償債権が消滅すれば、右直接請求権も消滅するものと解するのが相当であるからである。

これを本件についてみるに、原審が適法に確定した事実関係は、次のとおりである。

1  久國一男は、その所有の自動車について、保険会社である被上告人との間に自動車損害賠償責任保険契約を締結していた。

2  一男は、妻の和子及びその間の子である朗子が同乗する右自動車を運転中、運転を誤り、室蘭港の埠頭付近から海中に落下し、一男、和子及び朗子は、昭和五七年六月四日ころ死亡した。

3  この事故により、朗子は一男に対し、自賠法三条の損害賠償債権を有し、一男は朗子に対しその債務を負担するに至った。

4  上告人及び内田光代は一男と一男の先妻との間の子であり、朗子の異母姉である。一男、和子及び朗子の死亡の先後関係は不明であり、かつ一男と朗子の相続人は他に存しないから、上告人と光代が、それぞれ二分の一の割合で一男と朗子の権利義務を共同相続した。

以上の事実関係の下においては、上告人と光代の両名が、一男に対する朗子の損害賠償債権と朗子に対する一男の損害賠償債務を共同相続し、右債権及び債務が同一人に帰したことにより、右債権は混同によって消滅したものであり、これに伴い、上告人と光代が共同相続した朗子の被上告人に対する自賠法一六条一項の直接請求権も消滅したものというべきである。これと同旨の原審の判断は、正当として是認することができる。

二自賠法一五条にいう「自己が支払をした」とは、自動車損害賠償責任保険の被保険者が自己の出捐によって損害賠償債務を全部又は一部消滅させたことを意味し、混同によって損害賠償債務が消滅した場合は、これに該当しないものと解するのが相当である。本件において、朗子に対する一男の損害賠償債務が混同によって消滅したことは、自賠法一五条所定の「自己が支払をした」場合に当たらず、上告人は、被保険者たる一男の相続人として、保険会社である被上告人に対し同法条に基づく保険金の支払を請求し得ないとした原審の判断は、正当として是認することができる。

三したがって、原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。

よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官佐藤哲郎 裁判官角田禮次郎 裁判官大内恒夫 裁判官四ツ谷巌 裁判官大堀誠一)

上告代理人江本秀春、同村岡啓一の上告理由

第一 本件事案の法律上の争点<省略>

第二 判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違背

――民法五二〇条の解釈をめぐって――

一 混同による債権の消滅を認める結論の妥当性

1 【設例一】 保有者・被害者がともに死亡しなかった場合、

【設例二】 被害者のみが死亡し、第三者が被害者を相続した場合、

【設例三】 保有者が即死でなく、保有者生存中に自賠法一六条により直接請求がなされた後に保有者が事故に起因する傷害で死亡し、被害者が保有者を相続した場合、

【設例四】 保有者が損害賠償義務を履行した後に、事故に起因する傷害によって保有者が死亡し、被害者が保有者を相続した場合、

【設例五】 保有者が即死し、被害者が保有者を相続した場合、

【設例六】 保有者・被害者がともに死亡し、同一人が双方を相続した場合、

【設例七】 保有者が損害賠償を支払わないで、事故に起因する傷害により、又は事故と関係ない原因により死亡し、被害者が保有者を相続した場合のそれぞれについて原判決の結論の妥当性を検討する。設例一ないし三では自賠法一六条の直接請求により、設例四では保有者の有する保険金請求権の相続により被害者(又はその相続人。)は保険金を請求し得るのに対し、設例五ないし七では被害者(又はその相続人)は保険金を請求し得ないというのが混同による消滅を認める原判決の立場から導かれる結論である。しかし、設例一ないし七において被害者(その相続人を含む。)のおかれた利益状況は全く変わらず、それどころか多くの場合、保有者が家族の主柱のときは保有者が死亡した方が被害者の要保護性が増すのに、混同による消滅を認めると、この場合かえって被害者が保護されなくなる。また、設例三・四・五及び七を比較すると明らかなように保有者の死亡時期という偶然の事情により保険金を請求し得たり、し得なかったりし、理論的には保有者が死の直前に被害者に損害賠償債務の代物弁済として財産を譲渡すると言ったか否かで結論がかわってくることになり妥当な結論とは言えない。

2 このように結論が妥当でないのにかかわらず、原判決が混同による消滅を認めるのは、その前提として自賠責保険を責任保険として「保有者のための保険」としてのみ考えていることから生ずるのではないかと思われるが、自賠法の目的が被害者の救済にあることを考えると、「被害者のための損害保険」的機能を拡大する方向での解釈が必要である。

このように考えていくと、被害者が保有者を相続した場合にも直接請求(あるいは保有者の保険請求権の相続)による保険金請求を認める必要があると言わなければならない。(甲第一五号証、民事判例研究「親族間不法行為による自賠法一六条による直接請求権と損害賠償債務の相続による混同」矢吹徹雄)

二 混同消滅の例外

1 混同による債権消滅の理由は「自己に対して給付を請求することは無意味である」という点に求められるが、次のような場合には混同消滅の例外が認められる。

(1) 債権が第三者の権利の目的たるとき(民法五二〇条但書)

(2) 債権、債務の帰属する財産がそれぞれ分離独立している場合

(3) 証券化した債権の場合

また、必ずしも右例外の類型に該当しなくても、経済的に意味のある場合には、民法五二〇条但書の趣旨を類推して、債権の存続を図ろうとするのが今日の通説的考え方である。(注釈民法(12)五〇七頁・我妻・民法講義Ⅳ「新訂債権総論」三六九頁以下)

2 右の観点から、本件の場合を考察すると、損害賠償債権債務が同一人に帰属しても経済的に意味のある場合と考えられ、混同消滅の例外に該当すると言うべきである。その、消滅を認めるべきでない具体的理由は、二つの方向から見出すことができる。一つは上告人(被保険者)の側の利益に着目した考え方であり、二つは被上告人(保険者)の側の利益に着目した考え方である。

(一) 債権・債務の帰属する財産が、分離独立している場合

交通事故による損害賠償義務は、強制的に加入を義務付けられている自動車損害賠償責任保険においててん補されることになっているから、法的に常に強制保険金によって担保されている債務と考えて差支えなく、保険の限度で責任財産が被相続人の財産から分離独立している場合と考えられる。被保険者の一般債権者と被害者との利害の調整として、被害者の賠償請求権のうち、保険金額の範囲内については、被害者が優先的に執行できる地位を有しており、それを超えた場合に初めて、被害者と被保険者の一般債権者の平等的取扱いが要請されることになるからである。(西島梅治・保険法三一八頁)(被害者の加害者に対する損害賠償請求権と保険会社に対する直接請求権は別個独立のものとして併存し、保険会社が被害者に保険金を支払っても加害者から求償する関係にないことも考慮されて良い。)従って、上告人らが交通事故による損害賠償債権を相続し、それと同時に自賠法に基づく強制保険金によって実質的に担保されている損害賠償義務を相続したとしても、それは、被相続人の一般財産とは完全に分離されており、「債権、債務の帰属する財産がそれぞれ分離独立している場合」であるから混同消滅は生じないのである。(甲第一五号証参照)

(二) 債権が第三者の権利の目的たる場合

上告人らは、加害者の地位と被害者の地位を相続によって承継したが、それと同時に、保険契約上の被保険者の地位(保険金請求権の権利移付をうけた被害者も第二次被保険者と言える)をも承継した。このことは、不法行為の領域と契約法理の領域の異なる次元の当事者の地位を承継したことを意味する。そして、保険契約法理の領域に着目してみると、自賠法上の保険金請求権は被保険者と保険者の保険契約関係に基づいて発生するものであり、その行使の要件が不法行為領域の損害賠償義務の履行如何にかかわっているのであるから(後記第三参照)、損害賠償債権は第三者である保険者の利益にもかかわっているものと言ってよく、「債権が第三者の権利の目的たるとき」に該当する。

つまり、保険者は保険法理に従う限り、保険事故の発生によって保険給付義務を負担しており、その義務履行の方法が自賠法一五条の加害者請求に応ずるか、あるいは同法一六条一項の被害者請求に応ずるかの二者択一になる訳で、しかも、いずれの請求に応ずるかによって消滅時効、遅延損害金、免責要件が同一ではないのであるから(乙第三号証・金沢理「被害者請求」一九八ページの別表参照)、いずれの請求であるかを特定しておく手続上の利益がある訳である。

従って、本件の場合は、保険者、被保険者双方の立場からみて、法的に保護されるべき利益が存在する場合であるから、民法五二〇条但書の適用を受け、混同の規定は排除されるのである。

三 原判決の批判に対する反論

1 混同による消滅の例外という構成をとれば、

【設例八】 被害者が死亡し保有者が被害者を相続した場合も債権は消滅せず、保有者による保険金の直接請求を認めなければならなくなる。しかし、被害者のための損害保険として一定の場合に保有者に求償を求めうる制度の下では設例八の場合に直接請求を認めても求償請求権と相殺され加害者に利得が残らないことになるが、責任保険構成をとり保有者が求償されない現行法制度の下では、保有者に被害者の相続人として直接請求権を行使することを許容すれば、保有者に交通事故により利得をもたらすことになり妥当性を欠く結果になると批判される。さらに、

【設例九】 保有者が死亡しなければ被害者の相続人となり得なかった者が保有者と被害者の双方が事故により死亡したため双方の相続人となった場合(本判決のような事例)。この相続人に直接請求を認めるのが妥当かという問題もある。

2 設例一ないし九の全ての場合を満足させる理論はないが、混同による消滅の例外という構成をとれば設例八の場合に不当な結論となるが、保有者が相続人として直接請求をしてきた場合には権利濫用としてその請求を否定することにより妥当な結論が得られる。これに対し混同による消滅を認める構成は被害者が救済される範囲が著しくせばめられる。また、設例九の本例の場合も、相続人も被害者側的要素が強く、被害者救済を重視すれば、直接請求を認めても保有者と異なり不合理とは言えない。(特に、冒頭に指摘した本件と同一法律関係の事例を想起されたい。)

四 結論

以上のとおりで、本件のように、親族間事故により損害賠償債権の相続が開始され、当該債権が自動車損害賠償保障法に基づく自賠責保険によって填補される場合には、民法五二〇条但書の規定により、損害賠償債権の混同消滅は認められないのに、民法五二〇条本文を適用して本件につき混同消滅を認めた原判決及び第一審判決は、右法令の解釈・適用を誤ったものと言わざるを得ず、混同消滅の有無によって上告人の被害者請求(自賠法一六条一項に基づく直接請求権の行使)の可否が決定されるのであるから、判決に影響を及ぼすことは明らかである。

よって、原判決は、民事訴訟法第三九四条に基づき破棄を免れない。

第三 判決に影響を及ぼすことが明らか法令違背及び判決の理由齟齬

――自賠法一五条、一六条の解釈をめぐって――

一 自賠責保険の直接請求権の性質

1 自賠法における責任保険契約の構造は、被保険者が第三者(被害者)に対して損害賠償債務(法的責任)を負担した場合、保険者が第三者(被害者)に保険金を給付することにより被保険者の責任を免脱することを原則とし、被保険者が第三者(被害者)に対し現実に賠償義務を履行した場合だけ、その限度で、被保険者に保険金を給付すべきとする契約形態である。

2 右の被害者の直接請求権の法的性格につき、それは被保険者に対して有する保険金請求権に対する代位的請求権(保険金請求権説)なのか、あるいは、それとは別個の被害者独自の請求権(損害賠償請求権説)なのか対立があり、上告人としては、前者として理解すべき旨を主張してきたものであるが、右性格論の把握の差が直接、本件の結論を左右するものではないので、最高裁昭和五七年一月一九日判決・民集三六巻一号一頁に従い、一応、被害者の直接請求権の法的性質を「損害賠償請求権」とみる立場に立って、以下の論述を進めることとする。

しかし、自賠責保険における被害者の直接請求権は、独自の損害賠償額についての請求権であるが、それは、被害者が加害者に対して損害の賠償を請求しうる額につき、保険金額の範囲内で、特に保険者に対してその支払を請求しうる権利であることに注意しなければならない。換言すれば、保険者は被害者に対して「損害賠償義務」を負うのではなく、保険者は、加害者が被害者に対する損害賠償義務に基づき支払うべき額につき、支払義務を負うのである。(不法行為領域における実体関係と、それを保険事故として取り込む保険法理領域の峻別)このことは、自賠法が「被保険者が被害者に損害の賠償をした場合」(自賠法一六条二項)と「保険会社が被害者に対して損害賠償額の支払をしたとき」(自賠法一六条三項)というように使いわけていることからも明らかである。(新損害保険双書2自動車保険「自賠責保険の直接請求権と保険金請求額」田辺康平、三九ページ以下参照)

二 直接請求権と加害者に対する損害賠償請求権

1 被害者の保険者に対する直接請求権と加害者に対する損害賠償請求権とは、それぞれ別個の法的根拠に基づいて発生し、かつ、別個に行使されうる。(前者は、保険法理として、自賠法三条の責任発生を原因として自賠法一六条一項により、後者は不法行為として民法七〇九条、その特則たる自賠法三条により発生する。)勿論、被害者が保険者に対して直接請求しうる額は、保険金額の範囲内での、加害者に対する損害賠償額であるが、それは、被害者と保険者との間で確定されるものであって、被害者と加害者との間で確定される額に必ずしも一致するものではない。

2 最高裁昭和三九年五月一二日判決・民集一八巻四号五八三頁も、「……右両請求権は別個独立のものとして併存し、もちろん被害者はこれがため二重に支払を受けることはないが、特別の事情のない限り右保険会社から受けた支払額の内容と抵触しない範囲では加害者側に対し財産上又は精神上の損害賠償を請求しうるものと解するのを相当とする。」と判示しており、両請求権の関連は、加害者に対する賠償請求権が発生した限りで、直接請求権も発生する、というにとどまり、両請求権が一旦発生した後は、それぞれ別個に確定しうるもので、相互に影響を与えないことを認めたものである。(前掲・田辺康平「自賠責保険の直接請求権と保険金請求権」四四ページ)

従って、原判決並びに第一審判決のように、被害者の被保険者に対する損害賠償債権が消滅したからといって、当然に被害者の保険者に対する直接請求権が消滅すると考えるのは正確ではなく、不法行為領域の損害賠償債権の消滅という実体関係が、保険法理の領域で直接請求権の内容である損害賠償債務の併存的債務引受の履行と同一視されるから、直接請求権は消滅するのである。(乙第二号証・「自動車損害賠償保障法」一四二ページ参照)

3 これを要するに、被害者の直接請求権はその発生のみならず、消滅についても被保険者に対する賠償請求権に強い附従性を有するが、それは、責任免脱型の保険法理を採用した自賠法において、直接請求権が第三者のための契約の一種として損害賠償債務の併存的債務引受を内包しているからであって、保険法理に従う限り、直接請求権の発生は自賠法一六条一項により、また、その消滅は同法一六条二項によって規定されているのであるから、直接請求権の消滅を論ずる場合も、単に損害賠償請求権の消滅という一事によって判断するのではなく、自賠法一六条二項の要件の充足を待たなければならないということである。

4 そこで、保険法理に従って、被害者の被保険者に対する損害賠償債権が消滅した場合、自賠法一六条一項の直接請求権がどのような影響を受けるのかを考察してみるに、

自賠法一六条二項は、「被保険者が被害者に損害の賠償をした場合において、保険会社が被保険者に対してその損害をてん補したときは、保険会社は、そのてん補した金額の限度において、被害者に対する前項の支払の義務を免かれる。」と規定している。つまり、自賠法一六条二項は、単に被保険者が被害者に損害の賠償をすれば、それだけで直接請求権がその範囲で消滅すると考えているのではなく、飽くまでも保険法理に従って、「保険会社が被保険者に対してその損害をてん補」したことを要件として、初めて直接請求権の消滅を認めているのである。その結果、被保険者が被害者の損害の賠償をした場合にも、保険会社が被保険者にその損害の填補(保険金の支払)をしていなければ、保険者は、法理論上、被害者の直接請求に対して損害賠償額の支払義務を免れることはできないのである。

5 従って、原判決は第一審判決と同様、直接請求権の性質を損害賠償請求権と把握するに急な余り、自賠法一六条二項が直接の支払義務を免れる場合の要件として「保険会社が被保険者に対してその損害をてん補したとき」と明示しているにも拘らず、単に「被害者の被保険者に対する損害賠償債権が消滅した場合」の要件があれば、ただそれだけで、直接請求権の行使は許されないと速断した点において法令解釈の誤りがあると言わなければならない。

(保険者は、自賠法に定める保険法理に従う限り、被保険者の法的責任負担という保険事故の発生によって被保険者に対する関係で保険金支払義務を負担しているのであって、その義務の履行は、被害者の直接請求に応じて支払うか――一六条一項――あるいは、加害者の賠償義務の履行を条件として加害者である被保険者に支払うか――二五条、一六条二項――であって、いずれをも拒否しておいて保険給付義務の免責を主張することはできない仕組みになっている。後記「三、直接請求権と被保険者の保険金請求権」参照。

もし、保険者が被害者の直接請求を「被保険者たる加害者の賠償義務の履行」を理由として拒否するのであれば、その当然の反射として自賠法一六条二項に定める「被保険者に対してその損害をてん補」するべきであろう。このことは、同法一五条の加害者の保険金請求に応ずることに他ならない。ところが、保険会社は同法一五条の保険金請求に対しても「自己の支払」に該らないとして、即ち、「被保険者たる加害者の賠償義務の履行」ではないとして拒否しているのである。これは完全な矛盾である。原判決が第一審判決同様、この矛盾に気づいていないのは、本件が保険法理の問題であるのを看過し、自賠法一六条二項の直接請求権の消滅に関する要件を見おとしているからである。

三 直接請求権と被保険者の保険金請求権

1 被保険者の保険金請求権の発生と行使

被保険者の保険契約に基づく保険金請求権は、保険契約の一般理論によれば、保険契約の成立ないしは保険期間の開始により抽象的ないしは条件付に発生し、保険事故発生によってこれが具体化する。この理は責任保険にあっても変わりはない。

自賠責保険においても、保険契約締結と同時に抽象的な保険金請求権は発生しているが、それが具体化するためには、被保険者有責の人身事故が発生することが必要である。しかし、自賠法は、自賠責保険による被害者救済機能を確保するために、保険事故の発生に加えて、被保険者が被害者に損害賠償の支払をしない限り、保険金請求権の行使はできないこととした。(自賠法一五条)この賠償義務を履行しなければ保険金の支払を請求できないというのは、賠償額の確定または賠償義務の履行まで、保険金請求権が具体化しないという意味ではなく、事故発生により具体的保険債権が発生し、それが一旦発生した以上は、その後保険契約が存続すると否とに無関係に存続するが、ただ、その行使につき条件が付されているにすぎないという趣旨である。(倉澤康一郎・法学研究五四巻一一号一三頁)

従って、被保険者は、被害者に損害賠償の支払をしない限り、保険会社に対しては、保険請求権としての免脱請求権(これは、被害者の直接請求権行使に対し、保険者において自賠法一六条一項の義務として履行すべきことを要求する権利に他ならない)を有しているにすぎず、保険金請求権を行使することはできない。(乙第二号証「自動車損害賠償保障法」一四三ページ以下・前掲田辺康平「自賠責保険の直接請求権と保険金請求権」四八ページ以下参照)

2 直接請求権と被保険者の保険金請求権との相互関係

自賠責保険においては、被害者の保険者に対する直接請求に対する保険者の負担すべき損害賠償額支払債務と、被保険者の保険者に対する保険金請求に対する保険者の負担すべき保険金支払債務との間には、「保険会社が被害者に対して損害賠償額の支払をしたときは、……保険会社が、責任保険の契約に基き被保険者に対して損害をてん補したものとみな」され(自賠法一六条三項)、従って、その限度で、被保険者に対する保険金支払債務を免がれ、また「被保険者が被害者に損害の賠償をした場合において、保険会社が被保険者に対してその損害をてん補したときは、保険会社はそのてん補した金額の限度において、被害者に対する前項の支払の義務を免かれる」(自賠法一六条二項)という関係がある。

これと、保険請求権としての免脱請求権との対応関係を示すならば、被保険者の保険者に対する免脱請求権行使の結果、保険者は被害者に対する損害賠償額支払債務を果たさなければならない保険契約上の義務を負担し、その保険給付履行の効果(保険契約法的効果)を規定したのが自賠法一六条三項であり、これは、被害者側からみると、自賠法一六条一項の直接請求権を行使した結果、保険会社から損害賠償額の支払を受けた(損害賠償債務の消滅という実体法的効果)のと表裏の関係にある。また、被保険者が保険請求権として、右の免脱請求権の行使ではなく、自ら被害者に対し損害の賠償をして保険者に対する保険金請求権を行使した場合、保険者は保険金を支払うべき保険契約上の義務を負担するが、この保険金支払の義務を果たした場合の効果(直接請求権に対する実体法的効果)を規定したのが自賠法一六条二項である。これは、保険者側からみた場合の、被保険者において被害者に対する損害の賠償をして、実体法的な賠償債務の消滅をもたらした場合には、必ず「その損害をてん補」しなければならないという保険契約法上の当然の帰結を、直接請求権(その具体的内容は、損害賠償額の支払請求)に対する抗弁という形で表現しているものである。

3 自賠法一五条の「自己の支払」の意義

以上の対比から明らかなとおり、自賠法一五条の「損害賠償額について自己が支払をした」というのは、同法一六条二項にいう「被保険者が被害者に損害の賠償をした場合」と同義であることが判明する。(自賠法一六条三項の「保険会社が被害者に対して損害賠償額の支払をしたとき」と対応しているのではない。)即ち、自賠法一五条の「自己の支払」というのは、保険契約法的効果と対応しているのではなく、損害賠償債務を消滅させたという実体法的効果と対応しているのであるから、同要件の意義は、直接現金を手交したような弁済の典型的な場合を言うのみならず、法的効果に着目して「損害の賠償」をしたと評価できる場合を広く含む趣旨と解するのが相当である。

4 最高裁昭和五六年三月二四日判決の意義

(一) 最高裁昭和五六年三月二四日第三小法廷判決(民集三五巻二号二七一頁)は、「自賠責保険契約に基づく被保険者の保険金請求権は、被保険者の被害者に対する賠償金の支払を停止条件とする債権であるが、自賠法三条所定の損害賠償請求権を執行債権として右損害賠償義務の履行によって発生すべき被保険者の自賠責保険金請求権につき転付命令が申請された場合には、転付命令が有効に発せられて執行債権の弁済の効果が生ずるというまさにそのことによって右停止条件が成就するのであるから、右保険金請求権を券面額ある債権として取り扱い、その被転付適格を肯定すべきものと解するのを相当とする。」と述べて、転付命令による弁済の効果によって「賠償金の支払」という停止条件が成就する旨を判示した。

右の最高裁の結論は支持されるべきであるが、その理論構成には疑問がある。即ち、被転付適格の債権は、券面額ある債権でなければならないことは勿論であるが、その前に、先ず債権が発生していなければならない。然るに、判旨は「自賠責保険契約に基づく被保険者の保険金請求権は、被保険者の被害者に対する賠償金の支払を停止条件とする債権であ」り、「損害賠償義務の履行によって発生すべき被保険者の自賠責保険金請求権」であることを認めながら、被害者の賠償金支払前において、その被転付適格性を認めてしまうという誤りを犯しているからである。

(二) 最高裁が右理論的誤謬を犯した原因は、保険事故が発生しても「被保険者が被害者に賠償金を支払わない限り」(判旨の表現)被保険者の具体的保険金請求権は発生しない(保険金請求権に関する成立停止条件説)と考えたためと思われるが、前述のとおり、自賠責保険において、保険事故発生により、被保険者の具体的保険金請求権は発生するものと解さなければならず、ただ、自賠責保険においては、保険金請求権の額は、原則として後(おく)れて確定し、かつ、被害者の直接請求権を妨害しないように、被保険者が右の保険金請求権を行使するについては、被害者への損害賠償義務の履行を要するものとされているにすぎないのである。(保険金請求権に関する行使停止条件説)

従って、保険事故が発生し、しかも、被保険者の被害者に対する損害賠償額が確定している場合には、被保険者が被害者に対して賠償義務を履行する以前であっても、被保険者の保険者に対する保険金請求権は被転付適格性を有するものと解しなければならず、ただ、右の保険金請求権については、被保険者がそれを行使するにつき、被害者への賠償義務の履行を条件付けられているので、その転付を受けた被害者は、その権利を行使するためには、自己への賠償義務の履行を条件づけられることになるが、その賠償義務は混同により消滅するので、被害者は、直ちに保険者に対する保険金請求権を行使することができるものと解すべきことになるのである。(前掲・田辺康平「自賠責保険の直接請求権と保険金請求権」五八頁、石川明「自動車損害賠償保障法三条の規定による損害賠償請求権を執行債権とする転付命令と右損害賠償義務の履行によって発生すべき同法一五条所定の自動車損害賠償責任保険金請求権の被転付適格」判例評論二七二号四一頁)

(三) そうすると、右最高裁判決は、自賠法一五条の被保険者の保険金請求権を行使するにあたって、右行使の停止条件となっていた「被保険者の被害者に対する賠償金の支払」(判旨の表現)を、保険金請求権の転付命令による被保険者と被害者との混同消滅によって成就されたものと判断した先例と言うことができる。(乙第二号証・「自動車損害賠償保障法」一三九頁、鈴木啓資の解説参照)

(判旨が停止条件とする「被保険者の被害者に対する賠償金の支払」という表現は、自賠法一五条の「自己の支払」の意義の項で明らかにしたとおり「被保険者が被害者に損害の賠償をした場合」と同義である。従って、正確には「被害者への賠償金の支払」というのは「被害者への賠償義務の履行」と読み替えるのが正しい。)

また、東京地裁昭和五八年七月二六日判決(判例時報一〇八八号一〇〇頁)も、「『自己の支払』とは、被害者が現実に損害のてん補を受け、かつ、その態様が社会的、経済的、法律的観点から総合的に観察評価して『加害者の支払』と同視できる場合もこれに含まれる」と解釈し、共同不法行為者の求償債務負担を「自己の支払」と同一視しているのである。(甲第一四号証)

5 本件への適用

こうした先例に従って、本件事案を眺めれば、混同が債権の消滅原因の一つとされ、その実質が債権者の債務者に対する弁済と同一視できるのであるから法的効果の面で「損害の賠償」をしたと評価して何ら差支えなく、賠償義務の履行と同義である「自己の支払」の要件に欠けるところはないと言うべきである。

被上告人は、原審において混同は事実であって「債務の履行」ではないと主張するが、「自己の支払」の意義を明らかにするのに決定的に重要なのは「損害の賠償」がなされたとみうるか否かの効果の点であり、行為の態様ではない。(最高裁昭和五六年三月二四日判決参照)保険者にとって重要なことは、被保険者に対し保険金を交付すべき「責任てん補」の要件の充足であり、これは専ら法的効果にかかわっているからである。また、混同は、何らの意思表示をしないことから「事件」とされているが、厳密には、相続開始後三ヶ月以内に相続放棄の意思表示をしなかったという消極的意思表示の存在が隠されているのであるから、法律行為と別異に取扱うべき理由は全くない。

6 以上のとおり、仮に、原判決のように損害賠償債権債務につき民法五二〇条の適用を認めたとしても、その法的効果である債権の消滅は、保険法理の領域では「損害の賠償をした場合」に他ならず、それと同義である自賠法一五条の「自己の支払」の要件を充足するから、上告人(被保険者の相続人)は、自賠法一五条に基づき保険金支払請求権の行使をなしうるものと言うべきである。

四 結論

原判決のように被害者の直接請求を排斥した時の理由付けが「被保険者たる加害者の賠償義務の履行」(同法一六条二項)即ち、混同消滅の効果を援用しておきながら、他方で、加害者の保険金支払請求を排斥するための理由付けとして、混同消滅では「自己の支払」すなわち「加害者の賠償義務の履行」には該らないとするのは、完全な背理である。

よって、原判決には、自賠法一五条、同法一六条の各条項の解釈適用を誤った法令違背があるにとどまらず、判決理由に齟齬があるから、原判決は、民事訴訟法三九四条並びに同法三九五条一項六号に基づき破棄を免れないと考える。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例